わたしの住んでいる近くに幼保連携型認定こども園があります。
4月に入り、入園したばかりの子どもたちの楽しそうな声と
泣きじゃくっている声が入り混じって聞こえてきます。
みなさんはご自分が幼稚園、保育園に行くころはどんな感じでしたか?
私は母と別れることが嫌で泣くことはありませんでした。
どちらかと言えば、先生によく叱られて、その先生に口ごたえしてまた怒られて・・・
みたいなことで泣くことはありました。
私の娘はもうそれは周囲の人がびっくりするほど、
私と離れると火が付いたように泣いていました。
先生方は「お母さん、振り向かずに帰ってください」と言います。
後ろ髪を引かれるというか後ろ髪が引かれてハゲるんじゃないかくらいの気持ち。
私まで泣きそうになる毎日を繰り返していました。
そして、慣れたころに夏休み、夏休み明けにまた元に戻って泣きはじめ、
慣れたころに冬休み。冬休み明けにまた泣きはじめ、慣れたころに春休み。
そしてクラス替え、また泣く。の繰り返しでほぼ3年間続きました。
母子分離不安=子どもが母親など愛着対象から離れることに不安を感じる。
人は生まれながらに「恐怖」や「不安」というものは持っています。
危険を察知する能力を持っていなければ、生きていくことができないからです。
さまざまな経験をしていく中で、恐怖だと感じていたけど、不安だったけど、
大丈夫だったという経験を積み重ねていけば、徐々に恐怖や不安は軽減していく。
でも娘は繰り返し恐怖や不安を感じ泣き叫んでいました。
当時なぜなのかわからなかった。先生たちからは母子関係に問題があるのでは?
と言われることもありました。
娘が1歳のころから4歳くらいまで私は「産後うつ」で療養中。
1歳のころが一番ひどい状態でした。3歳から4歳の頃はだいぶ良くなっていました。
そんなこともあり、私が悪いんだと思っていました。
だから私はそれまで以上に娘に愛情を注ごうと必死でした。
でも状況は変わらず、幼稚園の3年間は過ぎていきました。
小学校に入ってからは泣き叫ぶことは全くありませんでした。
逆に幼稚園以降、今日まで娘が泣いたのを見たのは2,3回しかありません。
中3の2学期に3回目の不登校。
そしてその頃、発達障害、感覚過敏があることがわかりました。
音、光、皮膚感覚に過敏さがあったのです。
幼稚園の時泣き叫んでいたのは、「音」や「光」だったのです。
子どもたちの明るく楽しいけれど大きな高い声。教室を走り回る足音、
先生方の大きい声、全体で集まるときのマイクからのの大きな音楽の音・・・。
教室の白色の蛍光灯、外では太陽の光・・・。
娘にはそれらが「恐怖」だったのです。「不安」だったのです。
現在は家から一歩外に出る時は、どんなに近くでもノイズキャンセリングイヤホン、
サングラス(薄い色)を必ず着用しています。
それがないと、5分もしない間に頭痛や疲労感が出現します。
もっと早く気づいてあげられていたら・・・。
感覚過敏の他にもいろいろ特性があるので不登校にならずに済んだかと言えば、
それはわかりませんが・・・。
もちろん泣き叫んだ理由がこの感覚過敏だけだとは思いませんが、
大きな影響だったと思います。
子どもが泣き叫んで「恐怖」「不安」を訴えている。それがいつまでも続く。
子どもにとっては自分の生命を守る必死の訴えなのです。
何に恐怖や不安を感じているのか、いろんな角度から考えてみることは大切です。
子どもが安心して生活できるために・・・。
とここまで私の経験を書いてきました。
最近、ひとつもしかしてと思うことがありました。
友人のお子さんは幼稚園で母親と別れる時全く泣くことなく、
後ろを振り向くこともなく登園していたと。
私も夫もそうでした。
3人に共通すること「子丑天中殺」
初代運で親からのサポートを受けられない。親との縁が薄いというのがある。
だから母親ともあっさり離れて幼稚園へ行けたのでは?
娘は「申酉天中殺」正統2代運。親の縁がある人。
親と離れたくないのは申酉天中殺のせい?
なんてことを考えてしまいました。
ちなみに息子は戌亥天中殺。
亜流2代運。
母親と離れる時に泣くことはなかったです。
今後いろんな人に聞いてこの考えが合っているか検証していきたいと思います。
自分の星を活かして
もっと素敵に輝こう✨
2024年4月18日生まれ